外堀を歩く 番外編その2

外堀歩きの番外編第2弾。
今回は本編にもつながる(本編がどんなないようかはまだ決まっていないが)護岸編。

早く書いてしまいたいので、まとめてご紹介。

外堀跡の水路に沿って歩くと、当然のことながら様々な形で護岸されている。
これは石垣を中心に撮った写真。
石積みでその年代が判るのだろうけれど、そこまで専門ではないのでとりあえずは写真だけ。

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これは紺屋町。

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福島小学校の東側。

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清水町。先頃家が解体されて、水路が見えるようになった。

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以上は清水町の裏側。いろんな石積みにその上からコンクリートで塗り固めたのまで様々。

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この辺りは大正町の裏側。杉町になるのかな?2枚目の写真を見ると、シートを被せてあったのが判る。何故か…気になるところ。

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八女学院の北側あたり。大間と呼ばれる地域の南側。この辺りの護岸は木製の杭と板。
これが護岸としてはオリジナルな形なのだろう。

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最後に馴染みの玉石。用水路はこれが多い。ちなみにここは矢原町の北のほう。

という具合で結構色んな形で護岸されている。
写真だと判りにくいかもしれないけれど、こういう護岸は水路がいきいきしているのを感じる。
それで意外だったのは、昔のままの形で残っているところが結構多いこと。地域の方々がきちんと手入れをされているのだろう。

外堀跡の水路は、明治から大正にかけて町が広がって行くのにともない整備されたはずだから、石積みはその頃のもののはずだ。これだけのものを手作業で作るとなると…考えただけで気が遠くなる。

ところで、ここでは紹介しなかったけれど、この他にU字抗になっている部分もある。
石積みの水路は、草取りなんかの手入れが大変だし、文化財になんてならないから、U字抗がこの先もっと増えてくるのだろうけれど、文化財にもならないようなこうしたなんてことない石積みが身の回りでずっと見られるといいなと思う。