頭の中は全くまとまらない中、本編へ。
興味のない人、八女のことを知らない人にとっては全く面白くないので、ご覧頂いてる方には申し訳ないなと思っているのだけれど、記録しておきたいのでとりあえずは思いつくままに悪文のまま書いてみる。
福島の町の歴史は田中吉政の福島城築城から始まる。
現在の町並みは当時の矢原町や古松町などの町割りを比較的きちんと残している。
福島城の本丸は現在の八女公園東側部分からおりなす八女にかけて、二の丸が八女市役所と駐車場、そして、八女公園西側部分(遊具などがあるところ)が市の資料によると本丸西があり、それぞれ堀で囲まれていた。それが内堀らしい。以前セブンイレブンがあったところからパン屋さんにかけての建物は堀跡に建てられたものらしく、敷地から堀の感じが読み取れる。
八女市役所が一段高くなっているのも二の丸の名残で、ずっと前は八女公園やおりなす八女の場所も同じ位の地面が高くなっていたそうだ。八女公園にある櫓台跡の玉石積みを見てもその名残がある。
これは貞享5年(1688)現在と書いてある福島町古図の写し。内堀、中堀、外堀の三重の掘割りがある。
写真を拡大してみると目につくのが黒い線。これは往還道で今の町並み沿いの道。その西と東、外堀に架かる橋が「ワ」の土橋(地名の由来か?)、「ヲ」の石橋。
それから、「イ」が先ほどの櫓台。「ロ」も櫓台でおりなす八女の南東部分。「リ」が今の福島八幡宮、「ホ」「ヘ」「ト」「チ」がそれぞれ西勝寺、明永寺、無量寿院、正福寺、という具合で、よく見ると現在と比較出来るのではないだろうか。
この図のような立派な堀は残っていないが、用水路として現在の使われているので、それを辿ってみようというのが今回の掘割を歩いた目的だ。外堀も往還道沿いの南側部分は比較的判りやすいので(というよりも2回目が12月に行われたので参加出来なかった…)442号線から北側の部分を中心に紹介しようと思う。(つづく)
明日から「荒木さんの遺したもの 展」が始まる。これから少しその準備。
素晴らしい展示なので是非ご覧頂きたい。
さっきちらっとあまねやさんのブログを見たら、この会のいきさつを紹介されていたのでそちらも併せてどうぞ。