外堀を歩く 4

先日紹介した昭和初期に平井氏が書いた旧福島城に関する考察のうち外堀の項を以下に転載。

(第三郭)
 第三郭は総郭である福島舊城の堀として比較的完全に残って居るのは宮野町新八幡の東側南側を巡る部分である。東側の堀の北部の端は龍洋服店裏の鐵工塲附近で、これが南行して自動車屋向側南筑軌道會社倉庫などをこめて進み、小學校新運動塲東側,福島劇塲の裏手を通り、運動塲南端近くにて東折し,土橋通り裏手にて南折し,土橋に出る。今の十字路より少し西である樋口紙店の附近である。これが南行して茶業組合事務所の裏手にて西に下り,鍵の手に曲りて,稻荷社高臺の裏を通りて新八幡の堀に續くのである。新八幡の高地は稻荷社附近までつづいて居たものだらうか。又,小學校新運動塲のもと臺地であったものが堀に沿うて北につづき西折して警察裏の西方まで一帯の丘阜であつたのである。その邊を舊稱御殿山といつた。新八幡には隅櫓があつた御殿山邊にも何等かの備があつたかも知れぬ。次に南部は新八幡南側を流るる堀は飯田邸の裏、八女銀行裏より少しく南折し,更に西下して,十七銀行裏手を進み京町木下氏の裏邊にて南に凸字形を描いて桝形の土地を作って曲折して、祇園社の南側に出る。かくして古松町裏手を眞直に西下するこの堀は矢原町と古松町の十字路より西、稻富に通ずる道路を少し下つた處で西側の堀となるのである。今,一本榎のある邊は砦であったと伝へて居る。之が古松町矢原町裏を北行して正福寺々域裏手にかかりて、少し曲がりて北に進む,金屋口の石橋の東に至りて西下する。取出裏に北進し,軌道を超えて東折する。堀の内側北小路橋との間大桝形の地に砦が設けられたものと見ゆる。之より北側の堀となるのである。堀江宮の西邊北小路を巡つて,大間の境を通り,實習女學校の北側を少し離れて通り,舊長住宅の裏を通り,福田病院の裏を少し離れたる北にて南折し,又と東して次第に南に傾きつつ龍洋服店裏の鐵工塲附近に達するのである。警察裏にあたる部分は舊稱將監堀の北側、即ち第三郭の外,東より北にかけて外小路といふ。

とりあえず今日はこれだけ。
(続く)