外堀を歩く 7

『次に南部は新八幡南側を流るる堀は飯田邸の裏、八女銀行裏より少しく南折し,更に西下して,十七銀行裏手を進み京町木下氏の裏邊にて南に凸字形を描いて桝形の土地を作って曲折して、祇園社の南側に出る。』

この項は現状と一致。
伊能忠敬の記述にもある小国武、宮の郷方面から福島町へ南から入る道はこの南の凸型に向かっている。
そして、外堀にぶつかる前に西に折れ、まっすぐ進むと新町、その先を右(北)に折れると外堀を渡って福島町へと入る。私が小学生の頃、この外堀水路を渡る橋は小さな眼鏡橋で、子供ながらに風情があるものだと思ったのを覚えている。
この道はそのまま往還道に直角にぶつかり、江戸期の地図を見るとそこが制札場になっている。

『かくして古松町裏手を眞直に西下するこの堀は矢原町と古松町の十字路より西、稻富に通ずる道路を少し下つた處で西側の堀となるのである。今,一本榎のある邊は砦であったと伝へて居る。』

この項も現状通りではあるが、一本榎というのがどこにあったのかは不明。
要現地での聞き取り調査。

そして、これから先が先日の外堀歩きで歩いた部分。
平井氏の文章に沿って時折地図を参照しながら写真を紹介したい。

という肝心なところで…(続く)