外堀を歩く 6

昨日の続き。

『これが南行して茶業組合事務所の裏手にて西に下り,鍵の手に曲りて,稻荷社高臺の裏を通りて新八幡の堀に續くのである。』
茶業組合事務所というのは、今の土橋郵便局のある四つ角附近と思われる。平井氏の作られた地図を参照のこと。この頃は紺屋町から旧三号線へと突き抜ける道はまだ出来ておらず、細い道が福島八幡宮の東側へと続いている。ひょっとすると元高松病院のあった場所の北側を東西に抜ける細い道(鶴亀の奥に出る)なのかもしれない。稲荷社高台の裏を通りて新八幡の堀(文化池)に続くというのは現在のとおりだが、この頃は今の紺屋町の駐車場(ao cafeの東側)も堀が続いていた。

『新八幡の高地は稻荷社附近までつづいて居たものだらうか。又,小學校新運動塲のもと臺地であったものが堀に沿うて北につづき西折して警察裏の西方まで一帯の丘阜であつたのである。その邊を舊稱御殿山といつた。新八幡には隅櫓があつた御殿山邊にも何等かの備があつたかも知れぬ。』

これも先ほどの地図に載っている通り。福島小学校の運動場近辺が旧称御殿山だったというのは現在は全く伝えられていない。福島小学校にひょうたん山という小さな高台(というほどでもないが)があるのはひょっとするとその名残か?
本丸を削って内堀が埋められたのと同じように、この辺りの土を使って堀跡を埋めたのかもしれない。
で、ひょっとすると、400年前に福島城を作る際に掘った土が積もって高台のようになった?と考えると一度掘った土を300年後にまた埋め戻したのかもしれない。

まだまだ続く。