土橋とアーケード 続編

先日紹介した辻原先生のパワーポイントの資料を頂きました。
少し紹介しましょう。

タイトルは「商店街やアーケードの成立過程や変遷について」。
最初に様々な商業集合施設の紹介があります。
熊本のアーケードに始まり、明治の銀座煉瓦街。江戸の庇下アーケード、連続覆付歩廊(東南アジア)、覆付街路(ヨーロッパ)などなど名前を聞いただけでは良く判りませんね。要は全て覆いが付いています。

それで、その集合商業施設の形状を3つに分類されていました。
「バザール」と「パサージュ」、そして「アーケード」です。
それぞれ、「バザール」は建物の内部にあり、「パサージュ」は私的な空間に覆がなされ、「アーケード」は公道上に建物から独立した構造上に覆がされています。
ということは、土橋市場や土橋商店街(木造アーケード)はアーケードでなくて、「パサージュ」になるんですね。

パサージュはヨーロッパによくあるそうです。
土橋商店街は、昭和20年代半ばに、もともと家具店をされていた方が建てられたものを分譲販売されています。
辻原先生によると、その当時東京でもそういった事例は聞いた事がないそうで、むしろパリなどでよくある形態とのことでした。戦後の混乱の時代にどういういきさつであの木造アーケード(本当はパサージュ)が建てられたのか興味のあるところです。要調査ですね。

それからアーケードのことを少々。
アーケードの定義って「日よけ、雨よけ、又は雪よけのため、路面上に相当の区間連続して設けられる公益上必要な建築物、工作物その他の施設をいう。」だそうです。辻原先生はそのアーケードを日本中調査されています。
昭和20年後半から30年代中頃まで流行ったのがシルバーアーケード。シルバーアーケードはアルミなどの金属製のアーケードのことで、どうも西日本に多い「銀天街」という呼称はこれからきているのだそうです。

話はそれから「日覆い」に続きます。
日覆いとは、その名のとおりで、道路上に布で覆いをし、アーケードのようにするものです。明治期の初め頃には既にあったようです。
そんな日覆いの変遷などの話へと続きます。

いやいや、たかが覆い、されど覆いです。
覆いも奥が深そうです。
話を聞いていないのに、こんなに内容がわかるパワーポイント資料(しかも土橋向け)を作って頂いた辻原先生に改めて感謝です。

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