昭和39年発行のこの本は祖父の書斎にあったもの。いつの頃からか店の本棚に並んでいる。
何とはなしに表紙をめくると祖父の手書きのメモが挟まっていた。
以下メモより引用
3.事業経歴書
明治23年頃より酒造(30年休業)、酒類の仲卸業を営み、大正4年三潴郡三潴町原田30番地にて清酒及正中の製造及販売業をはじめ、大正7年には八女市大字本町89番地にて更に清酒の製造及販売をはじめました。その後大正15年には株式会社組織に変更し八女市本町2番地に清酒製造所を新築し本町89番地の製造上を移転した。
現在は八女市の製造場を本店に、三潴町の製造場を支店として二場にて製造石数960klを醸造し、主として八女市、筑後市、八女郡、久留米、八代市、長崎県、直方、飯塚市方面に出荷して居る。
尚、以前より酒類の小売、ビールの卸販売業も八女市大字本町94番地にて行う。
以上
繁桝の経歴書らしい。
960klというのは約5,300石。
5,300石というのは一升瓶で53万本。
これが書かれた昭和42年当時の地方にある酒蔵の製造石数としては程ほどの規模だそうだ。
これがそのメモの裏側。
我が家の系図。(麹屋)又八、宗太郎、忠兵衛、宗八のところに酒屋と書いてある。宗八さんの次で分家したのが上記の明治23年頃(確かもう少し前のことだったか?)。
左の隅には何故か「高橋カトン」。
何の為のメモなのかさっぱり解らない。
生きていればいろんな話を聞けただろうにと、祖父の筆圧の弱い優しい字を見るたびに思うのだ。