店での地元学 簡単なメモ

昨日、昔からの知り合いで福岡に住むYさんがひょっこり立ち寄られた。
Yさんは立花町白木の出身。
久留米の酒問屋に勤めた後、独立して福岡で酒屋を始められた。しかし、一般家庭向け、御用聞き主体の商売が厳しくなる中で、早々と酒屋に見切りをつけ、今は非常に硬い仕事をされている。
そのYさん、福岡に移って20数年経つというのに、いまだに濃厚な(?)八女弁で通している。それがまた愚直(というと失礼かな)なまでに真直ぐなYさんの人柄を表していて、とても好感が持てる。

以下、Yさんと父の会話の中で、白木で過ごしたYさん少年時代の話が面白かったのでメモした。

<メモ>

小学校4、5年生頃(昭和38~40年頃)は沢ガニやワラビを獲るのがちょっとした子どもの現金収入だった。

テボ(籠のこと)と鎌を持って山に行き、ワラビをテボに一杯採って来た。そのワラビの根っこを切り落とし、ショロの木で結わえる。それを買い取りに来る人がいて、一抱え200円位で買ってもらっていた。当時の小遣い銭が10円だったから、結構な稼ぎだった。
重さに対してお金を貰っていたので、切り落とす根っこを出来るだけ少なくしていたが、その辺は買い取る方もよく解っていて、重さを量る前に使えない部分はごっそり切り落とされて、子どもながらに残念だったことを覚えている。

雨が降ったら沢ガニを捕まえにいっていた。雨で小川から上がってくる沢ガニを火バサミで捕まえ、ビニールの肥料袋に入れて持って帰った。
これも買いに来る人がいて、現金収入になった。

我が家には蜜柑山があった。
当時の蜜柑山は段々畑の中心に蜜柑の木が植えてあり、その邪魔にならないよう、端には茶の木を植えていた。
ばあさまに言われて、一度収穫した茶の木から出て来た芽(2番茶?)を摘みに行っていた。その分の収入は自分の小遣いにしてもよかった。

匂いでワラビのありかがわかった。
匂いでマムシを察知するおっちゃんがいた。

以上、忘れないようにメモ。

ワラビもカニもきっと町から買いに行っていたはず。
それを町でお店に卸していたのだろう。
ほんの40数年前まで、そんな小さな経済が成り立っていたのだ。

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