町家勉強会メモ

一昨日はふるさと塾の例会。

例会では、建築士の中島さんによる簡単な町家講座が行われている。
今回は、町家の土間や部屋の形態を、江戸後期、明治中期、後期、昭和26年築の町家の平面図を見ながらの講義。

以下、今回のメモ。

町家は通りに面した側から奥に伸びる、所謂、鰻の寝床と呼ばれる細長い敷地に建てられている。
表から向かって左右いずれかに「通りニワ」と呼ばれる土間が町家の奥まで伸びている。
通りニワの幅は町家の間口に応じて変わる。
通りニワの反対側「ミセ」、「中ノ間」、「座敷」などの部屋(おもに2間幅で、6畳から8畳の広さ)が奥に伸びている。
間口が広い町家では、部屋が2列奥に伸びているところもある。
八女福島では2列より大きいところはないようだ。
土間に対しての部屋の数から、町家の形態として「2列4室」とか「2列3室」などと呼ぶ。
福島の場合、南北に通る道に面した町家には、南側に通りニワがある場合が多い。
通りニワはそのまま奥の「坪ニワ」に続く。
坪ニワの周りに水廻りのものがある。(H氏談)
大きい町家だと坪ニワの奥にある「離れ」が仏間になっていて、その奥に便所がある。
離れの奥に「味噌蔵」がある。
味噌蔵では、味噌、醤油、漬け物をつくったり、貯蔵したりした。(H氏談)
そうして作ったものはとても大切にされた。醤油はとても辛かった。皿に残ったものは茶を注いで飲み干していた。(H氏談)
同じ通りにある坪ニワの位置(通りからの深さ)は、基本的に同じ深さ。これは、下水路が家の裏手を流れているから。それぞれの家の中を下水が通っている。(H氏談)
昭和26年の町家には通りニワが無い。そのかわりに玄関がある。が、よく図面を見ると坪ニワまで奥に伸びる形は基本的に同じ。

以上。(平面図がないと解りづらい…)

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