藤の終わったこの時期落ちた花びらが風に飛ばされ、何故か店の前に集まってくる。
花の散った桜はそれなりに緑が美しいものだが、藤のそれは少し寂しい。
暑い夏に日陰をつくってくれて、また来年になると甘い匂いを漂わせながらきれいな花が下がってくるが、それも遠い未来には終わってしまうというのを何とはなく予感させる。
そんなことを考えていると、お寺の住職が法事の時に読んで下さる白骨の御文章の一節を思い起こす。
朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり
諸行無常。
頭では解っていてもじたばたしてしまう自分がそこにいる。
ま、それでもいいじゃないかと思う自分もそこにいる。
くしゃくしゃになって変わり果てた藤の花びらを竹箒で掃きながら、そんなことをふと思った。
昨日、日曜参観の帰りに撮った写真。
私の子供の頃の登下校の道のひとつ。
ひとつというのはいくつもあったから。
この福島小学校から紺屋町の裏道を抜けていく道沿いには戦後のモダンな建物がいくつかある。
玄関脇にある八の字ブロック(と勝手に呼んでいる)の壁が面白い。
古い板塀の向こうにある双子の家。どんな経緯で建てられたのかは知らないが、木製の玄関扉と鉄の柵で囲われた家は全く同じ形。ちなみに住人は全く別の人らしい。
私が小学校の頃、この駐車場には木造の平屋が建ち、古本屋だった記憶がある。その家が解かれ、奥に建っているこの家の全貌が明らかになった。階段を上るエントランス。マリンブルーの瓦、タイル張りの壁と中央につくられた明かりとりのガラス。どれも渋い。
恐らくどれも昭和30年から40年にかけて建てられたものだろうが、時間が経っているからなのか妙にしっくりくる。きっと中は想像以上にいい雰囲気に違いない。
これは戦前の建物。福島検番だった。後に洋裁学校、料亭などとして使われた。二階にある板張りの広間とステージは昔の学校の講堂そのもの。そのうち写真を探し出して紹介したい。
福島八幡宮の裏側。杜(もり)という言葉がぴったり。写真に写っていないがこの左側が文化池。ずっと昔は文化池はL字型で、写真の駐車場の場所が池だった。
この写真を撮った道は30年前砂利道だった。
ちょうど交差点になるこの場所には大きな木が立っていて(何の木だか思い出せない・・・)樹上に紺屋町の子供たちが板を渡し、梯子をつけて秘密基地(考えてみると秘密でもなんでもないが)を作って遊んでいたのを今でも思い出す。
この通りにあった高松医院の古い建物も子供ながらにカッコいいと思ったものだ。白壁の大きな家、石榴の木のある家、鶏頭の花、美しい紅梅。
子供の頃、毎朝歩いた道の断片的な記憶。